早いもので、もう3月に入りましたね。
私は散歩に行く度に、ご近所のマグノリアの花の蕾が、一日、一日膨らんでいるのを楽しみに眺めています。宮澤賢治の童話で表現されているように、マグノリアの白い花が燈明のような輝きを放ちながら咲く姿を心待ちにしています。
私が子供の時からの父の教えは、「人が嫌がってやらないことを率先してやること」でした。
学生の時、だれもその係をやりたくなくて、いつもでも決まらない時などは、私が手を挙げて、その役を引き受けていました。
幼い私にも、このようにちゃんと父の教えが浸透していたのです。
きっと父も同じことを祖父から教えられてきたのだと思います。こうやって、いわば家訓のように、先祖代々、脈々と受け継がれてきたのだと思います。
「人が嫌がってやらないことを率先してやること」
これ自体は素晴らしい美徳だと思います。
でも、それが「いつもそうしなければいけないこと」になっていたとしたら?
そうだとしたら、それはとても苦しいことですよね。
そうできなかった自分に、それをしないことを選んだ自分に、罪悪感を抱いたり、卑下したりするかもしれません。
今年の1月からスタートした「School of Uncovering the Voice 声の覆いが取り払われた声の学校」では、自分が無意識に取り入れているパターンやビリーフを見ていくワークをしています。
ワークを通して、自分が「こうしなければいけないと信じていること」それに気づいていくことを行っています。
「あ!そうなんだ」と気が付くと、安心する気持ちがやってくるんです。そして、身体はほっとしてゆるむ。
この感覚を大事にして頂いています。
この感覚が自分が自分で在るというBeingに繋げてくれるからです。
でも大抵の場合、ここでマインドがこの感覚を遮って、こんな言葉をささやきます。「より良い自分になる為には、このビリーフを手放さなきゃ!そうしないと私は変われないのよ!」と。
手放さなきゃと必死になっている自分って、どんな状態だと思いますか?
安心して、くつろいで、ほっとしている自分ではありませんよね?
それは、完全にエゴの声に乗っ取られている状態です。
ただ気づいて、ほっとして、安心して、ゆったりくつろいでいる状態であれば、必死になって手放そうとしなくても、そのビリーフは必要なくなって、勝手に放れていきます。
本来の私が、マインドが作り上げた私で居る必要もないということを知っているからです。
アントロポゾフィー歌唱療法士 平井久仁子