シンギングセラピスト(歌唱療法士)の平井久仁子です。
「癒し」とか「癒される」など、
その言葉の意味が使われ方によって
曖昧ではないでしょうか?
動物とのふれ合いによって得られる
「癒された」という言葉もあれば、
音楽を聞いて「癒された」と使う時もあります。
これらは、気持ちが穏やかになるという意味合いで
使われているのではないでしょうか。
今回私がテーマとしたいのは、
精神的な問題や症状を「癒す」
または、「癒されたい」という時に使われる言い回しについて
考えてみたいと思います。
私は日頃から「癒し」という言葉の使われ方に、
違和感を持っています。
「究極の癒しをあなたに!」とか、
「これだけで癒されます!」等々、
何らかのサービスを提供する側から
このように使用される「癒し」という言葉には特に、
違和感を抱いてしまうのです。
サービスを提供する側も
こんなに安直に「癒し」という言葉を
使っていいのでしょうか?
そして、サービスを受ける側もこんな手軽で、
安直な「癒し」が本当に欲しいのでしょうか?
今回は、
この「癒し」について考えていきたいと思います。
「癒し」と聞いて連想されるものとは?
「癒し」と聞いて何を連想するかは、
人それぞれなのではないでしょうか?
「ほっとする」「安らぐ」「気持ちが楽になる」などから、
「身体的な苦痛から解放される」
という意味で用いられることもあります。
とても曖昧な、
共通のイメージを持つことが
難しい言葉なのではないでしょうか?
そして、
何によって癒されるのかも
人それぞれだと思います。
体を動かして思いっきり汗を流すことが
癒されることであったり、
動物と触れ合うことであったり、
自然の中でのんびり過ごすことであったり、
音楽や絵画、映画を観賞することで
癒されたと感じたりもします。
では、「癒し」の意味を英語と日本語から
探ってみることにします。
「癒し」を語源から考察してみよう
「癒し」で英語辞書を引いてみてもなかったので、
動詞の「癒す」で調べてみました。
英語に訳すと「heal」となります。
この「heal」は「holos」という
ギリシア語を語源とします。
「holos」は「完全な」という意味を持ち、
「whole(全体)」、「health(健康)」、「holy(聖なる)」
という言葉も「holos」から派生しました。
この語源から考察すると、
「癒す」とはバラバラになってしまったものを統合して、
また完全なものに戻すという意味なのではないかと思います。
ホリスティック(Holistic)も
この「holos」という語源からきています。
日本語から「癒し」を考察してみよう
広辞苑で調べてみると、
やはり「癒し」では載っていません。
広辞苑では「癒す」「癒える」という動詞で載っています。
意味は、
『病気や傷をなおす。飢えや心の悩みを解消する。』
とあります。
「癒す」という動詞が
「癒し」という名詞化して使われるようになりました。
日本ではバブル経済が崩壊する辺りから、
「癒しブーム」が到来しました。
日々の暮らしや未来に
不安を抱く人が増えたという時代背景も関係し、
様々な「癒しグッズ」も商品化されました。
「癒し」の発端は
商業ベースから生まれたと言っても
過言ではないと思います。
バブル経済崩壊から26年経った現在では、
名詞化されたグッズの「物」から形を変えて、
今度は目に見えない無形のサービスという形で
「癒し」が浸透してきていると思います。
癒す側と、癒される側 どちらも気を付けたいこと
私はシンギングセラピスト(歌唱療法士)として
受療者に接する場合、
とても気を付けていることがあります。
それは、
症状が快方に向かっていく力は常に受療者側にある
ということです。
セラピスト側にその力があって、
それを受療者に与えるのではないという事。
その事は、言葉にして療法の期間中、
何回でも受療者に伝えます。
シンギングセラピーでは、
何らかの原因があって受療者が本来の力を
発揮できていないところをセラピストが見極めて、
そこへアプローチしていきます。
実際に声を出して、滞っているところや、
固くなっているところを耕したり、
整理したりするのは受療者です。
何とかしてほしいと
自分を投げ出すような全くの受け身では、
成り立たないセラピーです。
そして、
私が考える「癒し」とは手段ではなくて、
結果として自然に生ずるものだと思います。
最初から「癒したい」「癒されたい」の関係で始まるものではなく、
セラピストと受療者とのお互いの関係性の中で
自然発生的に起こる結果だと思うのです。
だから、セラピストが自分の演奏を聞けば、
受療者が癒されますよと謳っているのを目にしたり、
耳にするたびに違和感を感じていました。
それに誘われて
やってくる受療者がそのセラピーを受けても、
その関係には真に癒すことも、
癒されることもないと私は思っています。
この関係は、支配する側と、
される側の関係ではないでしょうか?
セラピストは自分が受療者を
癒しているのだという傲りばかりで、
受療者と同等の立場ではありませんし、
受療者も自分の内にすでに持っている治癒するという力を
発揮する機会を放棄していることになります。
セラピストも受療者も本気になって向き合う事こそ、
命が輝くのではないかと私は思います。
『歌うことは苦手で、
本当はシンギングセラピーをやりたくないと思っていたけれど、
医師に薦められたから来ました。』
という方とセラピーを行ったことがあります。
歌うことが苦痛になっているのであれば、
セラピーとしてのメリットは
その受療者にとってあるのだろうか?
という思いからセラピーはスタートしました。
そして、一回、また一回とセラピーを重ねる度に
心の中に閉まっていたことを
話してくれるようになりました。
「本当は歌いたい。
けれど、音程が乱れることがあって、
それを人にバカにされたことがあって、
また自分が嫌な思いをするのではないかと思って、
初回にあんなことを言ったのです。」
その受療者の声を聴かせてもらっていると、
言葉にしないでも
私には伝わってきていました。
声を出して、
歌う喜びがたくさん詰まった
声の響きが存在していました。
その方は思い切って、
自分の思いを言葉にして
他者に伝えるということをなさいました。
自分みずからアクションを起こされたのです。
それは、心が柔らかく開かれなければ、
できないことだと思います。
言葉を発するには
他者という存在がいます。
そして、
自分を客観的に見つめたからこそ、
言葉が生まれるのです。
それは、私が私になるという瞬間です。
そのことがあってから、
今まで自分には向かないと思っていた場所に出かけていかれたり、
人々とも積極的に関係性を育もうとなさっています。
そして、
今では趣味として歌いたいとおっしゃっています。
自分の足でしっかりと自分の人生を歩きたい方、
お待ちしています。
そして、
光の差す方向へしっかりと歩いていく道程を
私はサポート致します。
私が行っている
シンギング・セラピー(歌唱療法)の詳細は以下です。
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まとめ
「癒す」という動詞が、
「癒し」という名詞化で用いられるようになった背景には、
日々の暮らしや未来に
不安を抱くようになったバブル経済崩壊の時代に生まれた
「癒しブーム」と「癒しグッズ」にあるようです。
バブル経済崩壊から28年経った今もなお「癒し」は
目に見えないサービスに形を変えて受け継がれています。
その時、「癒し」を提供する側も、
「癒し」を受ける側も
気を付けなければならないことがあります。
それは、
「癒し」、「癒される」共依存の関係に
ならないことではないでしょうか。
「癒し」は手段ではなく、
セラピストと受療者が本気で向き合ったからこそ
自然発生的に起こった結果にすぎないのではないか
と私は考えます。
「癒してください!」
と自分の力をやすやすと
他者に明け渡してしまわないでくださいね。
「癒す」の語源は
ギリシア語の「holos」から来ていて、
それは全体という意味でしたね。
もうあなたの中には欠けているもの等
ひとつも無くて、
外からつぎ足さなくても良いのです。
ただバランスを崩していたり、
全体として機能していないだけです。
あなたのなかには、
力の源泉があることを
どうぞ忘れないでほしいのです。
セラピーの感想はこちらからお読み頂けます。
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