
「大切な物がそっと生み出されて、それが私の声になるのですね」とレッスンをしている時に、生徒さんがおっしゃいました。
自分の声が生まれる時、聞こえる声になる時、それは本当に一瞬でそこを聴き逃さないように、見過ごさないようにしなければなりませんが、でも張り詰めた緊張感の中では聴く事ができません。
ゆったりと寛いでいて、そして、純粋な子どもの様な好奇心があるとその一瞬を掴むことができます。
先日花屋さんで買ってきたアネモネが朝から昼にかけて花びらを大きく広げ、夜になるとまた閉じる様を見つめていたら切り花なのに、そこに生命を感じて愛おしくなりました。
1日の内に幾度もアネモネの様子を眺めます。そして、しばらく時間を忘れて眺めています。
「そんな時間があったら、他のことができるんじゃない?」
そういう私のエゴの声も聞こえてきますが、私はその声に対してこう言います。
「私からそういう時間を取り上げて、何かを生み出そうとしても中身がからっぽなものしか生まれない。満ちて生み出すにはこの時間が必要なのよ」と。
自分の声を発する時も同じことなのだなと思います。
「満ちる声」とは、「あなたの本当が満ちている声」ですから。
今週、あなたはどんなふうに自分自身を満たしますか?
アントロポゾフィー歌唱療法士 平井久仁子