蝉の声も聞くようになり、本格的な夏ですね。
じりじりとした日差しのもと、
洗濯物もあっという間に乾くので、
最近は日に2回ほど洗濯をします。
カーテンやシーツ、冬に活躍した毛布など。
風に吹かれて、
洗濯物がはためいているのを見るのが好きです!
今回も「耳をひらく」というテーマでお伝えしています。
人がどんな風に音を聴いているのかは、想像するしかなくて、
実際のところはその人にしかわかりません。
見え方にも個人差がありますよね。
自転車に興味がある人は、
街を歩いていても、自転車ばかりに視線が行きます。
でも、自転車に興味がない人は、
自転車の存在を見たとしても、
「そんな自転車通り過ぎたけっ?」という具合に、
全く覚えてないことがあります。
個人の主観を通してこの世界を見ていれば、
見え方も人それぞれ違ったものになります。
だからきっと聞き方にも
人によって様々な聞き方があるのだと思います。
主観を通して聞いている。
あるいは、思い込みを通して聞いている。
価値判断を通して聞いている。
まだまだ、
~を通して聞いていることは、ありそうですね。
フィンランドのラウルコウル(歌の学校)で勉強していた時、
毎週火曜日の午後は全校生徒と教師の前で、
学生が一人でソロの曲を歌う授業がありました。
とっても緊張しますが、とても貴重な経験を毎回します。
歌い終わったあとに、
先輩や後輩も含めた全員から感想やコメントをもらい、
教師からは、コメントと一緒に
今後の練習についてのアドヴァイスをもらいます。
私は授業内に、自分が歌う機会がなくても、
この授業が好きでした。
それは、皆のコメントを聞いていると、
その人が歌声のどこに耳を合わせて
聞いていたかがわかるのです。
正確な音程やリズムに注意を向けて聴いていた人。
歌詞の音に注意を向けてた人。
上手か下手かだけを聞いていた人。
正確な音程やリズムであること、
そして、響きはたっぷりとありながらも、
歌詞が聞こえることは歌にとっては大事なことです。
でも、上手か下手かだけで聞いていたのでは、
一音、一音の真の輝きは聞けないで終わってしまいます。
私はそういう聞き方は、もったいないと思ってしまいます。
私のホームページにご訪問頂いて、
ブログ記事を興味深く読んで下さる読者の方は、
上手か下手かだけで人の歌を聞くような方ではないと思います。
そして、アトリエ・カンテレで
継続的にレッスンをされている方も、
耳をひらく練習をされていて、
客観的に聴くことの素地が培われていると思います。
今度コンサートで歌を聞く機会があったら、
自分はどこに耳を合わせて聴いているのだろうか?
と、意識的になってみてください。
そして、この授業で、毎回私が感動するのは、
教師からのコメントとアドヴァイスでした。
先生たちは自分たちの主観的な耳の聴き方から
解放された聞き方をします。
時には今現れている歌声から
未来の歌声が聞こえる時があります。
そして、
それに対して練習のアドヴァイスをするのです。
毎週火曜日の授業は、私に聞こえた聞こえ方と、
先生の耳に聞こえた聞こえ方の違いを
垣間見る時間でもありました。
ソロで歌った生徒は、
先生からもらったアドヴァイスを
その時間内に全員の前で試してみるのですが、
格段に歌声が変わっていくことがあります。
それは、さなぎから蝶に脱皮する様を
見ているようです。
何度もトライしても短い時間内では、
変わらないこともありますが、
仲間が真剣に試みている姿を見ると、
熱い気持ちが私の中にも湧き上がってきました。
この火曜日の授業は、
リートアワー(歌の時間)と呼ばれていましたが、
自分が歌っている時は、
楽しい時間ばかりでもなかったのです。
わかっているけれど、
越えられないことがあったりして、
自分の不甲斐なさが情けなくて、
泣いてしまった事も一度や二度ではありません。
何度も泣かされました!(←って誰に? 笑)
泣かされた!なんて被害者意識があると、
声の覆いはいつまでたっても外れることはないことに
気が付いていくのですが。。。。
でもそれも、自分の主観的な耳の聴き方を
開放するために必要なプロセスなのです。
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