シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子です。
歌の上達のためには、何が必要だと思いますか?
私が10年間教えてきて、
歌が上達する生徒さんに共通することがあります。
それは、
歌っている時に自分の耳をどのように使っているか?
ということです。
これは、意外なのではありませんか?
歌の上達と比例して、
耳の聴き方も上達していくのです。
耳の聴き方の上達がなければ、
歌の上達もないと言えるくらい大事な耳。
今回は「客観的に聴く耳の育て方」
というテーマでお伝えします。
普段、自分がどのように音を聞いているか、
意識してみたことはありますか?
そして自分が発した声に
耳をどのくらい傾けているでしょうか?
普段あまり意識を向けないところに
意識を向けて聴いてみると、
思わぬ発見があったりします。
そして、
歌う人にとっては、
この聴くという事がとても大切な要素になります。
歌っている最中にただ漫然と歌うのではなく、
自分の声を客観的に聴くことができるようになると、
歌声にも変化が現れます。
そして、歌の時だけではなくて、
実生活で家族や友人、
仕事先での人間関係にも変化が現れてきます。
歌の上達の為には、
自分の耳の聴き方を育てることも欠かせない要素になります。
「客観的になること」とは?
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス歌唱法を学ぶにあたって
とても重要なことの一つには、
この「客観的になること」だと思います。
歌は自身の体が鳴り響いて声となり、
表現する芸術です。
そう考えると、
最も主観的な芸術だとも言えます。
しかし、
歌っている間はもちろんの事、
歌う前でも、歌った後も、
常に客観的になっていることを求められます。
例えば、
歌っている時の自分の声を客観的に聞くこと。
客観的に聞くってどうすればいいでしょうか?
歌っている時だけに限らず、
今回お話することは、
日常の自分の聞き方にも応用することができますので、
どうぞ照らし合わせてお読みください。
耳から漏れ落ちている大切なものとは?
普段私たちは、
聞きたいものに耳を合わせて聞いています。
目から入ってくる情報は見たくないと思えば、
瞼を閉じてしまえば見えなくなります。
これが耳の場合には、
目の様に閉じるわけにはいきません。
ですから、
耳には様々な音が次から次へと入ってきます。
しかし、
耳はいろんな音が多重に鳴っている時でも、
それがお皿が割れた音なのか、
水道の蛇口から水が落ちる音なのか、
鳥の鳴き声か、
人の声なのか瞬時に聞き分けることができます。
街の喧騒の中であっても、
自分が慣れ親しんだ人の声であれば、
その声の主の姿が見えなくても
探し当てられるような経験が誰にでもあると思います。
また反対に、
作業に没頭している時に、
話しかけられた声が全く耳に入ってこないで、
気が付かなかったという経験もあるのではないでしょうか?
耳は意識して聴くこともできれば、
他の所に意識を向けていたら、
聞こえてこないこともあるのです。
そして、
聞きたいものに耳を合わせて聞いているとしたら、
自ずと漏れ落ちているものがあるはずです。
ですから、
歌っている時には、客観的に聴くという練習をします。
これを行っていくと、
本質的なものを聴けるようになります。
その声は以前からそこに居たのに、
歌っている主が耳をかたむけていなかったせいで、
聴こえてこなかっただけだったのです。
客観的に聴く方法
客観的に聴いてみようと試みても、
自分が本当に客観的に聞くことができているのだろうか?
という疑問が出てくると思います。
そんな時は、
その疑問も持ちつつ、聴き続けてみてください。
私はできているのか、
いないのかに関わらず、
それを行い続けるプロセスが大切だと思っています。
要するに、完璧を求めなくていいのです。
そして、
完璧にありのままに聞けること自体が、
ありえないことだとも思っています。
何故かと言うと、
100%それがあるがままの聞き方であることは、
だれにも分からないからです。
自分の聞き方は、自分にしか分からないのです。
そして、
自分の聴き方が変化すれば、
ありのままも変化するからです。
自分の耳の聴き方が成長して変わってくれば、
今まで気が付かなかった所にも
耳が合わさっていって、音を拾えるようになります。
それはまるで、
世界の放送局を受信できるラジオを持っていても、
いつも同じ周波数のチャンネルに合わせていては、
同じ放送局のラジオ番組しか受信できませんが、
チャンネルをちょっと動かして、
注意深く耳を澄ませれば、
他国のラジオ番組の周波数を拾って、
聞くことができるようになるのに似ています。
だからもう一生、
自分の声を聞く時には、
いつも客観的に、
ありのままに聞くことを続けていってみてください。
そうすれば、
もう呼吸をしているように、
自分にとっての「特別」ではなく
当たり前になることができます。
主観的な思いと意見を退けて聴いてみる
客観的に聞けているかな?
と疑問が湧いてきた場合、
主観的なフィルターを通して聴いていないかを
チェックしてみてください。
自分の声に対して、
どうしてこんな声しか出ないのかしら、
もっとこんなふうな声が出ればいいのに等
自分から出てくる批判的な意見、
そして、
なんて私の声は美しいのだろうか、
なんて素晴らしいのかしら等の
自己を満足させる思いも必要ではありません。
これらの意見や思いが自分の内から出てきたら、
客観的に聞くチャンス到来です!
それらの意見や思いを静かにさせてあげること。
それは唯の自己満足に浸っているだけなのです。
自己満足に浸っていては
聞こえてこない音の世界があります。
だから自己満足の世界から距離を置いて、
自分の声をもっと俯瞰した位置から、
客観的に聴いてみてください。
フィンランドの歌の学校で勉強していた時、
先生からレッスン中に、
耳を自分の頭についている場所から離して、
もっと頭の上の方にあると思って聞いてみてとか、
耳を歌っている目の前の壁に着けて聞いてみてとか、
どうやってそれを行うのだろう?
と訳が分からない注文が来ました。
でも練習が進み、
自分の内部に経験が積み重なっていくと、
先生の言っている意味が
感覚的に理解できるようになりました。
先生が示した位置に
耳を合わせる事ができるようになると、
今まで聴こえてこなかった自分の声が
聴こえてくるようになって、
その結果、
自分の声が変わりはじめました。
そして、
自分自身の意見や思いを退けて聴くことは、
セラピストとして受療者のお話しを
先入観なくお聞きすることに繋がっています。
客観的に聴く為には、自分の内側を静けさで満たす
先ほど、
「普通に考えたら訳が分からない注文がくる」
と言いましたが、
練習が進むと、
それまで自分にとっての普通であったことも、
変化してきます。
今まで聴こえていなかった所が
聴こえるようになるのですから、
それは今まで使われていなかった感覚が
開かれて使われるようになります。
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス歌唱法の場合、
生きている間は自分の声が変化し続けます。
声は一度完成してしまったら、
それで終わりではないのです。
声が成長するにしたがって、
自己も成長し、
自己が成長すれば、
声も成長する。
それが、
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス歌唱法の醍醐味です。
この耳の聴き方は、
人間関係にも応用することができます。
他人の話を聴く時にも
客観的にありのままに聴いてみる。
苦手だなと思っている人の話にも、
客観的に耳を傾けてみる。
そうすると、
聴こえていなかったことが
聴こえてくるかもしれません。
漏れ落ちていたこと、
自分の主観的な思いが邪魔をして、
聴こえていなかった本質の部分が
聴こえてくるかもしれません。
最後に、
茨木のり子さんの「聴く力」という詩をご紹介します。
「聴く力」
ひとのこころの湖水
その深浅に
立ちどまり
耳澄ます
というところがない風の音に驚いたり
鳥の声に惚けたり
ひとり耳そばだてる
そんなしぐさからも遠ざかるばかり小鳥の会話がわかったせいで
古い樹木の難儀を救い
きれいな娘の病気まで直した民話
「聴耳頭巾」を持っていた うからやからその末裔は我がことのみに無我夢中
舌ばかりほの赤くくるくると空転し
どう言いくるめようか
どう圧倒してやろうかだが
どうして言葉たり得よう
他のものを じっと
受けとめる力がなければ茨木のり子
(茨木のり子詩集「寸志」より)
他のものを じっと受けとめる力
湖水に立ちどまり、耳を澄ませたならば、
普段気が付かなかった音が聴こえてくることでしょう。
自身の心が静けさに満たされて、
外に開かれていなければ、
そういった微細な音は開示されることは
残念ながらないでしょう。
自らの内に静けさで満たされたスペースを
広げれば広げるほど、
隠れていた音の響きを
耳が聴きとれるようになります。
まとめ
多層な音で満たされている世界から、
耳は自分に必要な情報を聴きとっています。
自分の聴き方を変えれば、
それまで漏れてしまっていた音に気が付くようになります。
その為には、耳を開いて、
ありのまま、客観的に聴こうとする姿勢です。
自分の声にじっと耳をそばだててみてください。
聴き方を育てれば、声が変わり、
それに伴って考え方が変わり、
実生活にも変化が表れてきます。
そして、歌の上達の為には必要不可欠な耳。
どうぞ楽しみながら育ててみてください。
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