シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子です。
私がまだ小さかった頃、
お正月は祖母の家に親戚が集まって、
新年を祝う会を行っていました。
祖母は歌がとても好きな人で、
台所で料理をしながら、
庭の手入れをしながらも、
また、歩きながらも歌っていました。
信州の出身だったので、
その地方に伝わる民謡とか、
当時の流行歌などです。
小さな私にとって遠い道のりでも、
祖母に手を引かれながら、
祖母の歌う曲に合わせて
一緒に口ずさみながら歩けば、
あっという間に着いてしまうように感じました。
そんな祖母ですから、
新年会では、食事が終わると
みんなで一緒に歌いました。
私は幼稚園に入った頃から、
祖母が歌っているのを聞いて覚えた
「黒田節」や「木曽節」を
勝手な振りを付けて披露していました。
叔父さん、叔母さんから拍手喝采を受け、
嬉しかったことを今も鮮明に覚えています。
それが成長するにつれて、
音楽との関係が辛く、
悲しいものになっていきました。
そこらへんの話は、
下記のブログ記事を読んで頂ければと思います。
私の音楽体験が楽しく、
面白く、そして、
やりがいのあるものに変わったのは、
フィンランドの歌の学校(ラウルコウル)に入学してからです。
ラウルコウルは入学の時に、
実技試験がありません。
そして、入学前に、
音楽理論を知っていることも
必須条件ではありません。
それらは、入学してから学びます。
入学に必要なのは、
本人の学びたいという強い気持ちだけです。
手書きの履歴書と志望動機の手紙を送り、
その後に、教師と面接をします。
基本は、誰でも学びたいと思った人に、
門が開かれています。
ですから集まった生徒は、
様々な音楽的バックボーンを持っています。
私のように音楽に
苦手意識を持っている人もいれば、
音楽大学の声楽科で学び、
オペラ歌手として活動している人もいれば、
音痴と呼ばれて、
ずっと口パクを強要されてきた人もいれば、
ロックバンドのボーカルとして
ライブ活動をする中で、
声が出なくなってしまった人など。
それらすべての人が
同じ教室で学んでいました。
経験も、音楽の趣味嗜好も
まったく違うのですから、
最初から人と比べるということをしませんでした。
お互いがライバルというのではなく、
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスを
一緒に学ぶ仲間という意識が強かったです。
授業で習った音楽理論が
分からない所があれば、
良く知っている学生が
復習に付き合ってくれたり、
音程がうまく取れない学生の為に、
授業時間が終わってから一緒に練習をしたり、
お互いのできる事をしあって、
助け合いながら学びました。
音楽は、誰が優れていて、
誰が劣っているといったように、
優劣をつけるものではない事。
一般の学習の方法で出来ない時は、
自分に合っている方法を探すこと。
他者を羨んだり、嫉んだり、
自分を卑下したりする必要はない事。
そんなことに心を奪われて、
音楽を創造していたとしたら、
その音楽は自分のエゴを
満足させる為だけに演奏されていること。
私は歌を習いに
フィンランドまで行きましたが、
人生に於いても、
とても大切なことをラウルコウルで学びました。
そして、今現在、歌との関係が苦しい人、
歌うことが嫌いと思っている人、
私には歌う資格が無いのではないかと
悩んでいる人がいたら、
そんな人の為に、
そんなことないよ、
それは世間一般の常識や、
やり方に合わせようとしていて、
それでうまく行く人もいるかもしれないけれど、
あなたはそうじゃないかもしれなくて、
また別の仕方をやってみたら、
歌うことは楽しいものに変わるかもしれないことに
気が付いて欲しいのです。
そして、
それを体験してほしいと思っています。
歌声は全ての人にあること。
そして、歌は全ての人に開かれていること。
それを実感してほしいと思います。
歌で自分を不幸にするのではなく、
歌は自分を幸福にすることを忘れないで!
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