
先日、真鶴に行ってきました。
真鶴港の船止まりから眺める鉛色の海は、ほとんど音はありませんでしたが、静かに揺れる水面に、全てがそこに溶け合って響いているような音楽を聴いた気がします。
波のうねりを眺めていると、まるで自分の心の中でも、何かがゆっくりと動いているような気がして。その波が、私の中の分断を溶かしていくように感じました。
分け隔てされず、境界のない、ただ「ある」響きのように感じました。
「わたし」と「あなた」それぞれが違っている存在として”分ける”のではなく、ほんとうは一つに繋がっている存在であるように。
ほんとうは全部つながっていること。それを頭で考えるのではなく、「ああ、そうだ」とカラダで思い出させてくれるのは、お互いの声が出会い、響きあい、調和するとき。声が重なり合って生まれるその響きのなかに「わたし」と「あなた」の境目が少しずつほどけて、ひとつの音になっていく感覚があります。
それはまるで、一滴、一滴のお水が集まってできた海のようです。
「わたし」の内にも分断されてしまった”わたし”がいると思います。たとえば、「日々を頑張るわたし」と「ただ在りたいと願うわたし」。
そんなふうに「わたし」が分断されているように感じられるときは、「おはよう」「今日はどんな日になるな?」
そんな小さなつぶやきを声にだしてみてください。そして、そっと耳を澄ませてみてください。
その声は、「日々をがんばるわたし」と「ただ在りたいと願うわたし」を静かに出会わせてくれます。
ふたつの”わたし”が、声のなかでやわらかく溶けあい、やがて、ひとつの“わたし”へと還っていく。
声を出すとき、その響きは空気にひろがり、それが振動としてからだをめぐり、また、耳や肌を通して、心の奥に、ふたたび届きます。
それはまるで、わたしがわたしにやさしく歌いかけるような――聴き、包み、応えているような時間。
ひとりの朝も、その響きのなかに、出会いと調和はあります。
声は本当の”わたし”とつながる橋です。
小さな声の橋を、どうぞ架けてあげてください。
歌唱療法士 平井久仁子