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フィンランドへという天のお告げ
1日でも早く体を治して、
ドイツへ戻りたいという思いは強かったのですが、
日本での治療は1年以上という長い時間がかかってしまいました。
療養中にフィンランドに歌の学校(Laulukoulu)があることがわかり、
翌年の2001年の春に学校を訪ねてみることにしました。
1か月在校生と一緒に授業に参加しました。
学校から30分くらいの所に部屋を手配してもらって、
毎日そこから歩いて通いました。
3階建てのお家で、1階に大家さん一家が住んでいて、
2階、3階を学生に貸していました。
私は3階の屋根裏部屋のようなお部屋。
窓の外には大きな針葉樹が見えました。
ベットと小さな机と椅子があるだけのシンプルな部屋でしたが、
それだけで十分でした。
ラウルコウルでの勉強は楽しくて、
在校生たちは日本からのやってきた私を
温かく迎えてくれました。
フィンランドで学んでも良いかもしれないなという思いも
私の心に何度か過ぎりました。
でも、ドイツへの思いも断ち切ることはできずにいて。。。
そんな時、一つのアドヴァイスを頂きました。
「天に聞いてみたらどうだろう?」というもの。
なんでも、寝る前に自分で真剣に質問を考えます。
それも、シンプルな質問にします。
あいまいな質問をすると、
帰ってくる答えもあいまいなものしか帰ってこないそうです。
それを布団に入って、
質問を投げかけたら、そのまま眠りに入ります。
そして、朝自然に目が覚めて一番にやってくる思考、
またはメッセージが答えなんだそうです。
そして、チャンスは3日間だけ。
私の場合、1日目、2日目は
自然と目を覚ますことはできませんでした。
窓の外の蜂の羽音と、
犬の声で目が覚まされてしまった為です。
とうとう、チャンスは1日だけです。
そして、迎えた最後の朝、
自然と目を覚ますことができました。
布団の中で目を開けると、天井に、
フィンランド という文字が見えて、消えました。
「へっ?」と一瞬思って、
「いやいや、そんなわけないでしょー!」と
私のエゴの心が打ち消しました。
「だって、私はドイツに戻って、
途中で投げ出してしまった勉強を続けなければならないもの。
それをしないと、私はいつまでも負け犬のままだもの。」
それから、私は日本に戻った後、
ビザの申請をするために再びドイツ大使館を訪れたのでした。
しかし!ドイツ大使館からは、
ビザの許可は降りませんでした。
ええっ! どうなっちゃうんだろう私。
もう永遠にドイツでは勉強できなくなってしまうの?
天に聞いてごらんよというアイディアを頂いて実行した結果、
フィンランドという答えが来たにも関わらず、
私はなかったことにしたのでした。
その時のことを思い返すと、
一番の理由は、それが病気という理由であれ、
一度決めたものは途中で止めてはならないという考え。
それから、今まで応援してくれたり、
お世話になった人に対して、申し訳ないという思い。
そして、同級生に対してのライバル心。
みんな頑張っていたから、そこを抜けることは、
うらぎり行為になるし、私が弱虫だと思われるのも嫌だった。
今はその考えが全部、
自分を縛っている考え方だと思います。
困難な道を選択しないと、実りが少ないという考え。
その当時は、そんな考え方をしていました。
ドイツではいつも私は焦っていて、
のんびり過ごす事ができませんでした。
ドイツに居る時の私のイメージは、
背中に重たいリュックを担いで、
いつも額から汗を流して走っているイメージです。
それくらい、気持ちに余裕がなくて、アップアップしていました。
ドイツへのビザが下りないと分かった時、
あの大変な生活に戻らなくていいんだと
ほっとしている自分もいました。
そこで、天のお告げの通りに、
フィンランド行のビザの申請手続きを進めることにしました。
9月から新学期が始まるのに、
手続きを始めたのは7月に入ってから。
間に合うといいななんて、これまた呑気に過ごしていたら、
フィンランド大使館から、ビザが降りませんという連絡が。
また、越えられない壁が、
目の前に立ちはだかりました。
今度こそ、絶対絶命です。
フィンランドでの学び
ドイツ大使館からも却下、
そのうえフィンランド大使館からも。
いったいどうしたことかしら?
大使館からの電話を切ったあと、
私はどうすればいいのかをじっと考えて、
取りあえず入学しようとしている
フィンランドの学校に相談してみようと思い、
すぐに電話をしました。
責任者の先生に事情を説明すると、
「私にまかせなさい。2週間後には結果が出るから、
それまで出発の用意をしながら待っていてください」と言われました。
その言い方があまりにもきっぱりと、
「あなたは大丈夫です。どんな問題があっても
絶対に私たちの学校で学べるように努力しますから」
という信念みたいなものがその声から伝わってきました。
2週間後に再びフィンランド大使館から電話がかかってきて、
ビザが交付されることになりましたので、
至急パスポートを持って大使館へ来てくださいと言われました。
もうそれからは、今まで停滞して一向に針が進まなかった時計が
一気にくるくると物凄い速さで針が回転するように
時間が流れ始めました。
私もこの流れに乗ることができなければ、
またどこかで暗礁に乗り上げてしまうかもしれない
という思いもあったので、
何も躊躇することなく飛び込みました。
そして、フィンランド行のビザが交付された
2週間後にはフィンランドの片田舎の空港に
降り立っていたのでした。
やっとここから本腰を入れて、
7年間という歳月をフィンランドの歌の学校で
学ぶことになります。
楽器も、歌う事も苦手だった私が、
学び始めることになりました。
そして、フィンランドの歌の学校(ラウルコウル)で
学び始めて気が付きました。
音楽は誰の中にもあること。
そして、歌も全ての人の為にあること。
だから、もしあなたも歌や音楽が苦手だと思っていても、
それをやってみたい、それができたらどんなに嬉しいだろう
という憧れをずっと持ち続けているのであれば、
きっとそれができると私は思います。
憧れを持ち続けているということは、
あなたの中に才能があるということ。
苦手だと思っているものの中にこそ、
宝物が眠っています。
どうぞ眠っている才能を思いっきり、
咲かせてください。
こちらの記事にも自己紹介があります。
実は音楽が苦手だった子供時代
『歌を通して心と体を整える声の専門家』
シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子
*
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