2002年のイースターは3月31日でした。
3月29日から4月1日まで学校はイースター休暇でした。
私の住んでいる地域ではイースターの前夜に大きな篝火を焚く風習があります。大地を浄化するという意味があるそうです。
浄化された土地に、春になってから農作物を植えて、健やかに育つようにという願いも込められています。
私の家の周りは広大な畑とその周辺に森が広がっている地形なので、はるか彼方まで見渡せます。そして街灯もありません。
夜の8時から始まるというそのイベントに出かけようとして家の前の道路に出ると、私が目指す方角に火柱が見えました。
反対の方角を見ると、やはり1キロくらい先に火柱が見えました。
空から眺めたらきっと広大な大地に点々と火柱が見えるのだろうなと思いました。
私は懐中電灯を手に、そしてコートから反射板を下げて歩き始めました。街灯の無い夜道では懐中電灯は必需品です。
私が使っている懐中電灯は携帯に便利なように太いペン状になっているもので、なかなかの優れものです。
夜道を歩くときは足もとを照らして、また停電などの時はテーブルに立て置きして使えます。トーチのように周りを照らしてくれます。
そして車との事故を避けるためにヘッドライトに照らされるときらきら光る反射板も必需品です。
これを付けているのは子供が多いですが、でも散歩やジョギング中の大人も結構な割合で付けています。
私の物は手のひら位の大きさで、雪の結晶の形をしています。
その反射板には紐が付いていて、コートに安全ピンで留めたり、カバンに着ける人もいます。
私は忘れないようにいつもコートのポケットの内側に安全ピンで留めて、使わないときはポケットにしまい、使うときはポケットの口から外側に出して歩いています。
歩くたびにゆらゆら揺れるので、これでしたら車のドライバーも気づいてくれます。
念をいれた私の友人は車がやってくるたびに、紐の付け根を持って勢いよく反射板をくるくると回していました。
彼女のしぐさがあまりにも可笑しいので、私が理由を訊ねると「こうするともっと私がここを歩いていることをドラアイバーにアピールできるでしょう。そうすると気の利いたドライバーはそれに答えるようにライトを落としてくれるのよ」という返事が返ってきました。
夜道を運転するドライバーは遠方が良く見えるようにアッパーライトで走行しています。対向車や人とすれ違う時は相手が眩しくないようにヘッドライトを通常の明るさに落としてくれます。
でも、たまに人にすれ違うような田舎道だとライトを落とさずに通り過ぎる車も多いのです。
それから二人で歩くときには、二人一緒に反射板をぐるぐる回して賭けをしたものです。次の車はライトを落とすか、それともそのまま通り過ぎるかと。
歩くこと15分、もうすでに火はすごい勢いで燃えていて、火柱は天高く上がり、空を焦がしそうですし、火の粉がはるか頭上から雪のように飛び散ってきます。
その周りをぐるっと村の人たちが取り囲んでいました。みんなの顔が炎の光で赤く照らされています。
火を燃やしている場所は畑の中で、雪解け後でぬかるんでいました。
村の人たちは厳かな雰囲気で話をしています。
お酒も飲まず、もちろん焼きそばなどの屋台もなく、ただ火を見つめてた立ち尽くしています。
どんな話をしているのでしょうか?
作物の話か、春になる喜びの話か、それとも近所の池にやってきた白鳥の話でしょうか。
私はまだフィンランド語が上達していないので、耳をそば立てていてもまだわからないのです。
来年になったらその輪に参加できるくらいにフィンランド語が上達しているといいなと思います。
暖かな炎に照らされ、燃え盛る音を聞きながら、私は真っ暗な空に向かって勢いよく立ち上がる火の粉を眺めていました。
光の少ない真っ暗な冬から、太陽の光が日増しに輝いてくる春に向かっていることを象徴しているようでした。
アントロポゾフィー歌唱療法士 平井久仁子