歌っている時に聞くというと、何を聞いているのでしょうか。
まず自分の声を聞いている。
音程を聞いている。
ハーモニーを聞いている。
空間を聞いている。これは響きを聞いていると言いなおした方が良いかもしれません。
自分の発した声がどのように空間に響いているかを聞く。
フィンランドの歌の学校では、毎年クリスマスシーズンになると、アドヴェントの曲を歌って回る活動をしていました。
保育園、幼稚園、学校、病院、老人ホーム、教会など3週間ほどの間に毎日のようにどこかしらへ出かけていました。
歌う場所も様々で、音響の良い所もあれば、全く響かない所もありました。
歌うのに厳しい環境の所の方が圧倒的に多かったです。
その日のコンサート会場が声を出すそばから壁に吸い込まれていくような所であったら、先生からは環境のせいにして、絶望するのではなく、自分たちで響きを生み出しなさいと言われました。
そうすることによって、歌っている全員で耳を揃えて空間をサーチします。
どこまで皆で共有する空間を把握できるか、自分たちの上も下も、前も後ろも、全方位に向かって、歌っている最中に耳をむけます。
歌う場所として適していないからと、最初から諦めて歌うより、こうやって全員が意識して歌うことによって、より響く場所になるのです。
ここまでは、声が出ている時の耳の向け方ですが、アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスの場合のユニークな所は、声が鳴っていない時こそ耳をかた向けなさいと言われます。
自分の声が鳴りだす前と後です。
このまだ何も鳴っていない静寂な時こそ、耳をもっと注意深くして、静かに聞きます。
その静寂な時にこそ、自分の声の源になるものが鳴っていて、
その源を聞いてから、実際に声として出します。
初めて先生からこれを言われた時は、??????とたくさんの疑問符が心に浮かびました。
そんな世界は本当に存在しているの?とも思いました。
しかし、それを聞き出してから声にするのと、唐突に声をだすのでは、明らかに声の響きは違うのです。
歌うことを通して、聞くことも変わってきます。
聞き方が変化してきます。
自分の出している声を客観的に聞くようにといつも先生から教えられました。
そこに一切のエゴイスティックなものを介在させないように聞くことを要求されました。
これはなかなか難しいことです。
自分の声を耽美的に聞かない事もそうですし、卑下して聞かないこともそうですし、他の人と比べて聞かない事もそうです。
そういうことを一切排除して、自分の声を聞くこと。
フィンランドの歌の学校では、毎週火曜日に生徒が在校生と先生の前でソロの曲を歌う時間がありました。
そこで先生からアドヴァイスをもらって、次の練習に生かす授業です。
他の生徒に与えている先生のアドヴァイスを聞く事は、私にとっても勉強になりました。
先生がどんな風に耳を使っていらっしゃるのかが分かったからです。
私の耳では聞こえていない所を先生は聞いて、アドヴァイスをされています。
先生の耳には今現れ出ている声の他に、その生徒のこうなるであろう未来の声も聞こえているのです。
20数人の生徒がグループで歌うレッスンの時に、先生が一人の生徒に向けてコメントをくれることがあり、大勢の人が一斉に歌っているのに、その中の一人の声が聞き分けられるのかしら?と不思議に思いました。
先生はこの人の声を聞こうと思って耳を合わせると、ちゃんと聞こえてくると言います。
私はまだまだ20人もの声をレーダーのように聞き分けられないので、これからも耳の精度を上げるべく精進します。