アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス歌唱法の生みの親、ヴェルベックは、「すべての人のために歌声がある」と考えていました。そして、声を発する器官にダメージを起こしてしまい、声が出ないことはあるけれど、声そのものは決して病に侵されることはないとも考えていました。
私が勉強をしたフィンランドの歌の学校(ラウルコウル)には、さまざまな学生が入学してきます。音楽大学の声楽科を卒業した人と私のようにピアノを幼少期に少し習っただけで、それ以降、全く音楽の経験がない人が同じ教室で授業を受けます。
私は楽器を弾くことや、歌には苦手意識を持っていました。人前で歌うことは特に恥ずかしいと思っていて、いつもお風呂の中で小さな声で歌うくらいでした。
楽器を自由に弾きこなす人、鳥のさえずりのように自然に歌う人に憧れを持っていました。
自分も歌えたらどんなに嬉しいだろうといつも、いつも思っていたのですが、私が中学、高校生の頃には残念ながら歌の楽しさを教えてくれるような出会いも、機会にも恵まれませんでした。
私がフィンランドの歌の学校の2年生になった時に、1年生として入学してきた男子学生は正しい音程を全くとることができませんでした。
彼は、自分が音程をはずしてしまうので、一緒にコーラスで歌っている人が迷惑してしまうこと、それを気にして段々と歌を歌うことを止めてしまったこと。でも、歌を歌いたいという気持ちはとても大きくて、歌ってみたい。
だから、この学校で勉強をして、それを叶えたいと話してくれました。
音程を正確に取ることが難しい人は、音程を正しく取れる人より、音とは近しい関係にある、と私の先生は話していました。まるでひとつ、ひとつの音に頬ずりをしているようなんだよと。自分と音との関係が近すぎる、または音の中に浸っているので、距離を離すことができれば、音程を正しく取れるようになるんだよと。
4年間の彼の学びが始まりました。
そして、4年生の最後の卒業コンサートでは、彼は一人で20曲を歌いあげました。
今、彼はソーシャルワーカーとして働きながら、音楽療法士の勉強をしています。
ヴェルベックの想い、~歌声はすべての人のもの~は受け継がれています。
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