2017年4月に東久留米市 滝山しおん保育園でコンサートをさせて頂きました。
その時の様子を職員の遠藤さんがフェイスブックに記事を書いてくれました。
こちらのブログにも掲載することをご了承頂きました。
【アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス 声の覆いを取り除いて】
4月の初旬の話である。
冷たい春の雨がシトシトと降った日、私たちの保育園にイタリア・フィレンツェ在住の英国人オルガニスト、ジェームス・グレイ氏、順子・グレイさん、そして、歌唱療法士の平井久仁子先生の御三方がいらっしゃった。
子どもたちの為に美しい音楽を届けに来てくれたのだ。
入園したばかりの1歳児や年少児たちも一緒に、この小さな音楽会に参加した。
「いちばんはじめは」という日本の数え歌から始まり、「ずいずいずっころばし」「朧月夜」「さくら さくら」など日本の古い童謡や唱歌など、その独特な言葉とリズムは子ども達の心の中に響いていたようだ。
私の隣に座っていたのは外国生まれの母を持つ日本語がまだ十分ではない年少の女の子だったが、ふと気がつくと「サクラ、サクラ」と歌と一緒に口ずさんでいた。
平井久仁子先生は、私たちの保育園で年に数回「歌唱療法」という職員向けの研修で講師を担当してくださっている歌唱療法士。
フィンランドのラウルコウルというR.シュタイナーの人智学に基礎を置く歌唱指導法の歌の学校にて「アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス」を学ばれた方である。
「アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス」とは何か、というと、「歌声にかかった覆いを取り除く」という意味である。
私たちすべての人が生まれ持っていたはずの美しい歌声というものは、成長していく過程で様々な要因によってその美しさや輝きに覆いがかけられてしまうものであると言う。
この歌唱療法によって、それぞれが本来持っている美しい歌声に自分で気づき、歌う喜びを取り戻しましょう、という、歌のレッスンではなく療法、セラピーなのだ。
正しく歌うことではなく、本来の自分に向き合って、あなたの声で歌えるようになること。
それこそが誰でもないあなたが発する美しい歌声なのだろう。
私も平井先生の個人レッスンを受講した際には、心や身体の緊張から解かれた時の自分の声を豊かさに驚いたものだ。
フィンランド民謡やモーツァルトの「フィガロの結婚」などを歌う順子さんと平井久仁子先生のお二人の歌声は保育園の子どもたちを包み込んでくれるような優しく美しい歌声だ。
そしてイタリアの教会のオルガニストであるジェームスさんが、リードオルガンでフレスコバルディのSe l'aura spira、Cesar FranckのPanis Angelicusなど(曲目が間違っていたらごめんなさい)を演奏すると、その圧巻のオルガンサウンドにうっとり。
2年前に才気堂の渡邊祐治氏によって修復された1956年製造のYAMAHAのリードオルガンは、今、こうやって深い呼吸をし、完全に息を吹き返したような印象を受けた。
私事だが、3ヶ月近い入院生活の中で、私に唯一欠如していたものは何だったかと問われれば、芸術。
つまりこのような美しい音楽の世界だったのかもしれない。
美しい音楽を、いま生きて、再び聴くことが出来た喜びに私は浸っていた。
ふと、子ども達に目を向けると、子ども達それぞれが思うがままに美しい音楽に耳を傾けている。
お友達と顔を見合わせ笑い合ったり、後ろを振り返ってみたり。
時々ふざける子もいて、保育者に「お外に出ようか?」とそっと言われると
「いやだ。もっとききたいの」と言う・・・。
そうか、子ども達は、きっとこの美しい音楽を全身で感じていたのだろうなぁ。
覆いのない清らかな耳をいつまでも持ち続けて欲しい。
いや、いつか覆いがかけられることがあったとしても、こうやって美しい音楽を聴いた喜びが命の糧となって、本来の自分を取り戻す力になってくれたら嬉しいと思うのである。
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