気候の変動についていけず、
とうとう風邪をひきました。
先週は家事もせず、
仕事もお休みさせて頂いて、
どうしてこんなに眠ることができるのだろうと
自分でも不思議に思うくらい、よく寝ました。
布団の中で目が覚めて、
天井を見つめていると、
台所から水を流す音や、
何かを刻む包丁の音が聞こえてきました。
私はそのまま布団の中に
当たり前に居られるようになったことに、
気が付きました。
以前の私だったら、
落ち着いて寝ていることができなかったと思います。
かつては、
何もしないでいる自分を
良しとしない自分がいました。
それが熱があって、
体が動かない状況であったとしてもです。
そんな過去の自分から、
自分を育てなおしてくれたのは、
やはりラウルコウルで学んでいた時の
様々な経験があったからだと思うのです。
フィンランドの学校では、
通常の授業の他に、
個人レッスンの時間が週に1度あって、
私はカテリーナ先生から教えて頂いていました。
私は39歳から学び始めたので、
カテリーナ先生は私と同じ歳。
だから彼女は先生でもありますが、
何でも話せる友人のようでもありました。
大柄で、よく笑う人で、
茶目っ気というか、ユーモアもあって、
彼女が居ると、その場が一瞬で温かく、
明るくなるような人でした。
その彼女が病気になって、
療養生活は彼女の故郷のドイツで
過ごすことになりました。
毎週のように
彼女から届く便りを楽しみにしていて、
学校の皆も彼女の回復を心から祈っていました。
学校に戻ってくることを
心待ちにしていたのですが、
まだ暫くドイツで治療に専念することになりました。
そこで、私はクリスマス休暇に、
彼女に会いに行くことにしました。
学校の皆から託された、
たくさんのプレゼントを携えて。
彼女が入院している病室のドアを開けると、
無数の管に繋がれた彼女の姿が見えました。
私がベットに近寄ると、
彼女が目をぱちぱちと見ひらいて、
にっこり満面の笑顔で迎えてくれたのです。
私はその彼女の笑顔を見たら、
ぽろぽろと涙をこぼしてしまいました。
自分でも思いもかけなかった涙です。
(不覚の涙)
あわてて涙を抑えようと思ってもあとから、
あとから涙がこぼれ続けました。
(久しぶりの再会だというのに)
(自分としては、笑顔で再会したかった)
(私は彼女を励ましにきたのだから)
そして、
彼女に「ごめん。泣いてしまって」と、
声にもならない声で言いました。
そんな私の言葉に、
彼女は笑顔で「久仁子!泣きたいのなら泣いていいのよ。
泣くことは悪い事じゃないもの。」
彼女のその言葉を聞いたら、
もっと泣けてきて、私は子供の様に、
ためらいもなく声を上げて泣きました。
私がカテリーナを励まさなければとか、
私は始終、明るく振舞わなければとか、
そういった自分勝手で傲慢な自分が
少しでも涙と共に洗い流されていくようでした。
泣いている時、
私はカテリーナの左肩に自分の右の頬を預けて
泣いていたのですが、
彼女の体温の温かさと、
彼女が呼吸する度にかすかに波のように上下する振動が
私の頬に伝わってきていました。
これから起こるであろう
未来のことを不安に思う事。
そして彼女を
失ってしまうかもしれないという恐怖心。
彼女は病人で、私は健康人という傲慢な心。
それに私は占領されてしまっていたけれども、
彼女は今しっかりと生きている!
とその時、はっと気が付きました。
温かで、息をしている彼女が、
確実に、ここに居る!
病気であっても、
人間はちゃんと生きているのです。
病人ではなくて、
私の目の前にいる人は、
生きている人なのです。
そして、対等な人間同士という関係。
この経験は、
私が療法士として療法を行う時も、
歌の発声法の指導を行う時も、
最も大切にしている事のひとつです。
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