シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子です。
音楽好きな人にとっては、
常にお気に入りの音楽を聞く環境を
整えているのではないでしょうか。
移動中でも気軽に音楽を聞ける
便利な時代になりましたね。
しかし、音楽ファンとしては
生演奏が聴けるライブやコンサートなどに
行きたいですよね。
お気に入りの歌手や演奏家が
自分と同じ空間で演奏している音楽を聴けることは、
この上もない幸せな事です。
会場での臨場感や一体感
といったものも同時に味わえることができて、
CDを聞いている時とはやはり違いますね。
今回の記事では、
CD等に録音された音源と
ライブで聴く生の音との
絶対的な違いについてお伝えします。
それは、
音の周波数が私たちの身体に及ぼす影響と、
聴く器官の耳と皮膚に秘密が隠されているのです。
音楽は耳だけではなく皮膚でも聞いている
シンギングセラピスト(歌唱療法士)としての
勉強をしている時に、
実際にセラピストとして働いている人の所で
実習をする時間がありました。
私はデンマークの治療教育施設で働く
セラピストの所で実習を行いました。
足の麻痺によって歩くことが
困難な子供に行う療法の中で、
そのセラピストは
その子供の足の下に
クロッタ(チェロのような大きさの弦楽器)を置いて、
その楽器の上にその子の足を載せてもらってから
セラピストは楽器の弦をゆっくりと弓を使って弾きました。
低音の重厚で温かな響きが
部屋中に響き渡りました。
そして同時にその音の振動が
その子の足裏からその子の身体に響きが巡ります。
私も体験させてもらったのですが、
足の裏の皮膚を通して音の振動が伝わってきます。
その振動は足首からふくらはぎを通り、
膝へ。
そして腰とお腹まで伝わってきました。
その時に、
音は肌でも感覚していることを体験しました。
そして、最近ある本を知ったのです。
その本とは、
「驚きの皮膚」傳田光洋著 講談社 です。
著者の傳田光洋さんは、
この本の他にも、「皮膚は考える」岩波科学ライブラリー、
「賢い皮膚ー思考する最大の臓器」ちくま新書、
「第三の脳 皮膚から考える命、こころ、世界」朝日出版社、
「皮膚感覚と人間のこころ」新潮選書を出版されており、
お気づきの通り、どの本も皮膚について書かれています。
それについては、「驚きの皮膚」の中でも語られています。
46ページ
”わたしはこれまでも自著の中で、
皮膚について多くを語ってきました。
人間の皮膚が、触覚だけでなく、
ある意味で、聴いたり、見たり、嗅いだり、
味わったり、さらには学習したり、
予知したりといった驚くべき多様な感覚を
持っているという事実についてです。~中略~
また、もともと門外漢であった私が、
たまたま化粧品会社に勤めたがために、
長年皮膚の研究に携わることになり、
海外の皮膚研究者の間でも
「変なことを思いつく研究者」として、
多少はその存在を知ってもらえるようになった経緯についても、
少しばかり物語ふうにお話してみたいと思います。”*~引用終わり~*
本の中では、
皮膚の構造や機能についても述べられていますが、
何といっても興味深いのは、
皮膚の見えざる能力として、
皮膚が聴いていたり、
皮膚が見ていたり、
皮膚が味わっていたり、
皮膚が嗅いでいたりもしていることです。
また、皮膚とこころという章では、
皮膚は予知していたり、
皮膚は考えたり、
記憶もしていることについて書かれています。
こんなことを
研究している科学者がいることに私は驚きました。
そして、
お待ちかねの音に関する箇所をご紹介します。
78ページ
”さまざまな大きさの銅鑼や
鍵盤打楽器を合奏する
ガムランというインドネシアの民族音楽があります。大橋博士らは、バリ島のガムランの演奏時、
演者がトランス(恍惚)状態になることに着目し、
その原因として、耳には聞こえない音波の影響を発見しました。
というのもライブ演奏では
トランス状態になっても、
CD録音された演奏では
トランス状態にはならないのです。通常のCDでは、
音は周波数2万ヘルツまでしか録音されません。
ところがガムランのライブ音源を解析すると、
実に10万ヘルツ以上の音まで含まれていたのです。
そのライブ音源にさらされると、
脳波や血中のホルモン量にも変化が認められる。さらに彼らは、
被験者の首から下を音を通さない物質で覆い、
再びガムランのライブの音の効果を調べました。
すると驚くべきことに
生理状態に及ぼす影響が消えてしまったのです。これらの結果から大橋博士らは、
高周波数が耳ではなく、
体表で受容されているという仮説を抱くに至りました。”81ページ
”この研究では、可聴領域の音が使われます。
マイクに息があたるような「破裂音」Paの音と、
破裂音ではないBaの音です。
実験では被験者にBaの音を聞かせると同時に、
その首や手の皮膚に音が
聞こえない程度の空気を吹き付けました。
すると被験者はPaという音が聞こえた、
と答えたというのです。
だとすれば、可聴領域の音を聞く場合にも、
皮膚への音圧が関与している可能性があります。”*~引用終わり~*
まだ科学では、
仮説や可能性があるかもといった段階ですが、
とても興味深い研究だと思いませんか?
できるだけ生の音楽と声音を
聞くことが大切なのですね。
ライブやコンサートに限らず、
日常の生活のなかで、
子どもたちに演奏してあげたり、
歌ってあげることも大切なのではないでしょうか。
教育の現場でも
先生が歌ってあげる事が何よりも大切で、
器械から流れてくる録音された音楽や
声には大切なものが含まれていないのです。
子どもに限らず、大人同士でも、
皆で気軽に、歌ったり、
演奏できる場所があったら素敵ですね。
生の声や音には計り知れないパワーが
潜んでいることがお分かり頂けたと思います。
耳と皮膚の結びつき
それでは、
今度は耳について考えてみましょう。
私は考えるほどに
耳は興味深い器官だと思えてきました。
頭部の左右に付いている
この小さな器官は驚くほどに、
身体の各々の器官と
連携して様々なことを司っているのです。
耳は主に音を聞くことをしていますが、
その他にも内部にある三半規管においては、
私たちに空間を認知させて、
立ち、歩くために欠かせない器官です。
私たちはこの耳の働きのお陰で、
この地球の大地の上に重力に対抗して立つことができます。
そして、
自分を取り巻く6つの空間(上、下、右、左、前、後)に
しっかりとバランスを取って存在することができるのです。
カール・ケーニヒ著 「十二感覚の環と七つの生命プロセス」耕文舎に
興味深い一説を見つけましたので、
ご紹介します。
72ページ
”数年前、ある実験が行われました。
被験者たちを消音室に閉じ込めておくという実験です。彼らは何も聞くことができません
ー彼ら自身の声さえも。
外の音も聞こえませんし、
指を鳴らしてみても何の音も発しません。
その部屋は文字通り、静寂の世界です。
数時間後、その部屋から出てきた被験者たちは
ほとんど正気を失ってしまいます。しかし、
私たちはつねに物音に囲まれているという
事実に気が付いたなら、
なぜそのようなことになったのか、
私たちはすぐ理解することができるでしょう。
ー私はいま騒音について話をしているのではありません。
風音、足音、動物の鳴き声、
等々について話しています。
私たちを取り巻いている物音は、
それがどのようなものであったとしても、
つねに私たちに『私はここにいる』を思い起させます。~中略~
物音は厄介者ではありません。
物音は私たちに、
地球上に在る私たちの存在を
確信させてくれているのです。”*~引用終わり~*
私には、音を聞く器官としての耳と、
空間認識を通して、人間としてこの世界に立ち、
存在するために必要な器官としての耳の役割が
一致して繋がる文章でした。
物音は私の存在を気が付かせてくれる
私は消音室に入った経験はないのですが、
フィンランドのラウルコウルに入学したての頃、
あまりの静けさに夜、
眠ることができなくなった経験があります。
学校がある場所は畑と森に囲まれた所で、
私はその学校から数分の所に住んでいました。
自分の部屋のベットで休んでいると、
深々とした静けさで、
車が通る音も、町の喧騒も、
人の話し声も、何も聞えません。
自分の呼吸する音と
心臓の鼓動する音を
聞くことができるくらいの静けさでした。
それまで東京の郊外で暮らす私にとっては、
経験したことがないくらいの静けさでした。
何の物音もしない所で
快眠できると思いますが、
私の場合には
それをすることができませんでした。
益々目が冴えてしまって、
眠ることができなかったのです。
自分がまるで素っ裸にされて、
世界に投げ出されてしまったような
感覚になってしまいました。
何も覆いがなくて、
さらけ出されているような感覚。
掛け布団があるので、
物理的には私は何ひとつも裸ではないのですが。
そんな状況では、
安心して眠れるような環境ではないのです。
そこで私はカチ、コチと
秒針の音が聞こえる時計を買ったのでした。
規則正しく刻まれる時計の針の音に、
私は再び、覆いを取り戻して眠ることができたのです。
静寂の環境になれるにしたがって、
そのありがたい時計もいつしか、
必要ではなくなりましたが。
自分がこの世界に存在していることを
認識するためには、物音が必要なんですね。
そう思うと物音のひとつひとつが
愛おしいものになりますね。
まとめ
今回の記事では
生演奏でしか得られない
音の力をご紹介してきました。
私の所に頂く質問として、
「自分の歌声より、
きちんとした歌を聞かせてあげた方が
子供の為になると思うので、
録音された歌を子どもに
聞かせた方がいいですか?」というものです。
ここまで読んで頂けた方には、
もうその答えがお分かりになると思います。
どんなに完璧な音程や
リズムで歌われたとしても、
生の声に勝るものはありません。
あなたの声に含まれる
お子さんに向ける温かさや想いは、
あなたの声を通して、
直接子どもに届きます。
どうぞその幸せな時を
子どもに受け取らせてあげてください。
きっと子どもたちも
それを望んでいると私は思います。
子どもに限らず、
歌う人は聞く人すべてに
声を通して幸せを届けているのです。
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