
先日「声から歌が生まれる」即興クラスの初日を行いました。
参加者の方たちと一緒に、身体をゆるめたり、
寝転んで声を出したり。
自分の声が身体の中でどう響くのか。
どんなふうに息が流れていくのか。
いつものように声を出そうとするのではなく、
身体の感覚に耳を澄ませながら、声を探っていきました。
そして、母音の「A」。
ひとつの「A」にも、いろいろな「A」があります。
嘆きの「A」。
驚きの「A」。
感動の「A」。
喜びの「A」。
それぞれの感情を感じながら、声にしてみます。
同じ「A」なのに、響きも、身体の感覚も、まったく違ってきます。
そこから、少しずつ音をつなげ、即興へと進んでいきました。
何かを上手に歌おうとするのではなく、
自分の中から生まれてくるものを聴き、
それを声にしてみる。
ひとりが声を出し、その音を隣の人に渡す。
受け取った人が、また声にして、次の人へ渡していく。
ただ、それだけです。
けれど、
その時間の中で、
ある参加者さんがこんなことを話してくれました。
「音を回しながら、愛を受け取っているんだなと思った」
その言葉が、私の心に残りました。
そこには、
声を上手に出すこととは別の、
何か大切なものがあるのかもしれません。
愛を受け取ろうとしたわけではなく、
ただ音を回していたら、
自然にそのことに気づいた。
声を通して、
そんな体験が生まれることがあるのです。
また、別の参加者さんは、
こんな気づきを話してくれました。
「緊張していないと思っていたけれど、
声を出してみて、緊張していることが分かった」
私たちは、自分の身体や心の状態に、
いつも気づいているわけではありません。
緊張していないと思っていても、身体には力が入っているかもしれない。
それが、声を出すことで見えてくるものがあります。
声は、そんなふうに、
自分でもまだ知らなかった自分を教えてくれることがあります。
声には、まだ自分でも知らない可能性があります。
自分が何を感じているのか。
身体は何を伝えようとしているのか。
自分の内側から、どんな表現が生まれてくるのか。
だから私は、
声を変えることよりも、自分自身に出会うことを大切にしています。
私たちは、
もっとよい声を出そうとしたり、
きれいに話そうとしたり、
思い通りに声をコントロールしようとしたりします。
もちろん、それもひとつの楽しみです。
けれど、
私が声を通して探求したいのは、その先にあるもの。
誰かのような声になるのではなく、
誰かに認められる声を目指すのでもなく。
自分の中に、どんな響きがあるのかを探っていく。
すると、
思いがけない声が生まれたり、
心が動いたり、
いつもなら選ばない表現が出てきたりします。
声を探求することは、自分自身を探求すること。
そして、
自分と出会うことは、
人とのつながり方を見つめ直すことにもつながっていきます。
アトリエ・カンテレ 平井久仁子
