3月の末に岡山での講座が終わったあとに、京都に寄ってきました。
友人宅に泊まって、その夜は深夜過ぎまで語り、翌日も朝食を頂きながら、話は尽きず、気が付いたらお昼を過ぎていました!
1年ぶりという事もありますが、会っていない間に、色々と起こった出来事、それについて何を思い、何を行ったのかなど、彼女と話していると共感できることがたくさんありました。
岡山に行く前に、東京の桜はもう満開に近くて、私は夫と毎年お花見に行く小金井公園を訪れたのです。
桜の木の下で夫が、「あと何回桜を見ることができるのかな?」とつぶやいたのです。その言葉に、私は暫し色々なことを考えました。
京都の友人にそのことを話すと、彼女も同じような体験があったと話してくれました。
彼女は最近、畑を借りて野菜を作り始めました。分からないことがあると丁寧に教えてくれる農家の友人がいます。
その人にトマトの作り方を聞いた時、その農家の方は、自分は25年野菜を育てているけれども、野菜は1年に一回の割合で育てるものが大半だから、トマトも25回しか栽培したことがないことになる。
25年と聞くと、とてつもない時間に思うけれど、25回と聞くと、たったそれだけ?と思うでしょうと、言われたそうです。
そうなんですよね。25回って結構あっという間に終わってしまう回数でないですか?
私も夫から、「あと何回桜を見ることができるかな?」と問われた時に、「25回くらいかな?でも、30回は見たいなあ」と答えました。
これは平均寿命まで生きればから導かれた回数でしたが、でも寿命はだれにもわかりませんから。
改めて、時間は有限なものです。
私は生きている間に、一人でも多くの人に歌の持っている力、深淵さを伝えていきたいと思います。
この間もレッスンの時に、嬉しい感想を頂きました。
歌う事は社会では当たり前のことで、だれでも知っているし、経験していること。
でも、自分が歌と思っていたこと、歌ってきたことは、まだまだ入り口に過ぎなくて、まだ表面的なことだったことに気が付きました。
歌う事を通して、自分の価値観が変化したり、自分が変わっていくことが分かりました。
今まで自分には向かないと思っていたギターのモデルを弾いてみたら、弾きやすくて、それまで苦手と思いながら演奏していたギターが、楽しいと思えるようになったんです。
自分の思い込みを外して、未知なるものに向かえる力を発揮することができるのも、声の覆いを外すということに繋がるのではないかなと思います。
この方は、感性が豊かな方で、レッスンの時に、エクササイズを行った後に頂く感想にも私は毎回はっとさせられます。
それは、今まで生きてこられた色々な経験を繋げて俯瞰させる能力があるからだと思います。
このブログをお読みの方の中には、過去に行った体験が、ただの点に思えて、現在に何の脈絡も見つけられないと思っている方、または、何の役にもたってなくて、無駄なことだったと思っている方もいるかもしれません。
でも、未来から見てみると、繋がっていて、ひとつも無駄なことなんてなかったことに気が付く瞬間が必ずあります。
小さかった時の経験、好きでやっていた事、自分が選んだわけではないけれどやっていた事、それら全てが全部繋がっています。
脈々と流れる河のように、あなたの人生を貫いて流れています。
其々の経験が川の水を構成している分子であり、激しく流れる所もあれば、ぐるぐると蛇行している流れもあれば、ゆったり、悠々と流れているところもあります。
自分は運命に翻弄されて生きているのではなくて、ひとつ、ひとつの経験が集まって、人生を貫く大きな川となっていると考えると、無駄な事なんかひとつもないことに気が付きます。
そして、それが自分の内側から湧き出る力になります。
感想を寄せてくれたこの方のように、自分の感じたことを大切にする方を歌を通して応援していきたいです。
私は感じられた事を共有させて頂ける事に感謝して、そこからその人の本来の声が現れ出るようにサポートする事。
私が外からその人の本来の声を決めつけるのではなく、その人自身が見つけていけるようなレッスンを行っていきます。
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