先週の9月14日、15日はライアー響会の会員のための大会がありました。
ライアーという楽器は弦楽器で、膝の上に置いて、弦を指ではじいて音を奏でます。
集まった人たちは100人を越えました。
私は分科会を担当させて頂いて、
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスを指導しています。
今年で6年目になりました。
そして、分科会の他に、毎朝会が始まる前に、
参加者全員で合唱をするのですが、
その指揮もさせて頂いています。
毎年、曲を選ぶのに時間がかかります。
大体1年がかりで、良い曲がないかなあ?と探します。
合唱の時間は10分なので、その時間内に楽譜無しでも、
全員が無理なく覚えられて、なおかつ、美しい曲を探します。
今まではラテン語や英語の曲を選んでいて、今年は初めて日本語の歌詞の曲を歌いました。
100人の前に立って、
合唱の指導などしたことが無い私にとっては、
大変なお仕事を引き受けてしまったと思いました。
初回は膝が震えるほど緊張しました。
そして、一回、また一回と重ねるうちに、適度な緊張は持ちつつも、より自然に皆さんの前に立てるようになってきたと思います。
それは自分が変わったというよりも、会に集まる皆さんのお陰だと思っています。
今回はそれをより強く感じました。
私は皆さんが居るところよりも少し上がった舞台に立って指揮をするのですが、今年は舞台に上がって、皆さんの方を向くと、ニコニコと笑みを浮かべていらっしゃる方が大勢いるのが見えました。
その姿を拝見したら、歌う事を楽しみにしてくれていることが伝わってきました。
そうしたら、私も嬉しくなって、その嬉しい気持ちだけで指揮をしました。
間違えないでできるかな?とか、全く自分に意識を向けることなく、みなさんと曲を歌う事だけに集中することができました。
曲に自分の全ての意識を集中させると、自分というものが無くなって、そうすると、曲が生き生きと輝き出るという体験は、歌っている時にもあります。
歌っている自分より、曲を主役にして際立たせてあげる。
自分が自分がという意識が強すぎると、曲はその人に囚われてしまって、その人の域から超える事はできないと私は思っています。
コンサートなどで歌う場合でも、「聞いてくれる人」と「歌う私」という2つだけの関係だと、その間を結ぶ線は一本ですが、その2つの関係の間に、曲を主役にして存在させると、3つの関係になって、其々を繋ぐと、三角形が描けるようになります。
歌う人は、それくらい曲を客観的に歌う方が、曲は歌い手から益々自由になります。
そうやって曲を歌っていくことを繰り返していくと、過度に緊張しなくなります。
自分の心配をしている暇があったら、そのエネルギーを曲に使ってあげることが一番だと経験で分かるようになるからです。
そして、褒められたら、自分ではなく、曲が褒められたと思えるようになります。
あくまでも主役は自分ではなく、曲ですから。
それが音楽ではないかと私は思っています。
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『歌を通して心と体を整える声の専門家』
シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子
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