私は毎日散歩に出かけるのが日課になっています。
9月に入ってからは秋らしい日が続いていて、散歩をするのもちょうど良い気候になってきました。
特にコースは決めておらず、足の向くまま、気の向くままに出かけます。最近は少し走ってみたくなって、これも気の向くままに、走っては歩き、歩いては走りといった風です。
歩いていると、考え事がまとまったり、アイディアが降ってきたりすることもあります。植物や動物に目が奪われて、じっと見入ってしまうこともあります。
先日は大きな向日葵に目がいきました。頭を垂れて、うつむいている向日葵。
夏が終わろうとしているのだなというちょっとした感傷もあるのですが、重たそうに頭を垂れている、その中に次の夏に花を咲かせる種がたくさんつまっているのですよね。
もう次の準備が着々と行われているのです。
その向日葵の姿を見ていて、日々一緒にレッスンをしている生徒さん達の姿と重ね合わせていました。
誰の中にも確実にこれから現れ出ようとして準備されている響きがあるのです。
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスの生みの親、ヴェルベックは「人間の声は誰でも生まれながらにして、美しく、正しい」と考えていました。
でもその声の響きが不必要な覆いによって現れ出なくなってしまっている。
だから、薄皮を剥くように、ひとつ、そして、またひとつ、覆いを外していけば、しぜんと自分本来の声の響きは戻ってくると言っています。
自分の声がダメだからという考えで、その欠点を外部から作り変える必要はないのです。自分が準備をして、覆いを外して、整ったぶんだけ、声の響きも現れ出します。
昨日のレッスンでも今まで現れ出なかった響きで歌われた方がいました。
私はこういう場面に立ち会わせて頂く時、「おめでとう」と心の中で祝福します。
明るく輝く笑顔には、喜びがいっぱいつまっています。
自分の準備を整えるまでの過程には喜びだけではない、いろいろな思いを経てきていることも知っています。
だから、「おめでとう」と祝福したいのです。