Uncovering the Voiceでは、よく響く楽器のように自分自身を訓練していきますが、それと同時に耳の訓練も行います。
自分の声をどのように聴くかということが、
声を出す時にとても大切なのです。
自分が話している時、自分の声を聞いていますか?
これは大半の人が聞いていないと答えると思います。
本来自分が話している時、自分の声を聞いていないのは極々当たり前の事です。
話をしている時は自分の声を聞いている暇などありません。
自分が話をしている時の意識は相手の反応に注がれています。
私の話がちゃんと相手に伝わっているだろうか?
伝わっていない場合、どんな風に言ったらいいだろう?
コミュニケーションをしている私たちの頭の中はこんなふうになっています。
しかし、歌っている場合は違います。
私たちが歌っているとき、音程が合っているかな?
リズムは合っているかな?
歌詞は間違っていないかな?
楽器の伴奏がある場合は、その伴奏と合っているかな?
こんなふうに、すごくよく自分の声を聞いています。
歌の場合は、よく聞かなければ歌が成立しません。
では、どのように耳を使えばいいのでしょうか?
Uncovering the Voiceでは、自分の声を主観的に聞かずに、
他人の声を聞いているように、客観的に聞くという練習をします。
私という存在を通して耳は自分の声を聞いているわけですから、
それを主観的に聞かないことはとても難しいことです。
ヴェルベックは自分の声を聞く時、
なんて美しい声なんだろうとか、
なんて下手な声なんだろうという風に聞く事からも
自由になろうと言っています。
そうやって自分の声を綺麗、汚い、うまい、へたという
ジャッジ付で聞いていたら、真の響きを聴き出す耳は育たないと言っています。
客観的に自分の声を聴くということは、
いかなる時もジャッジをせずに聴くということです。
これは、普段の生活にも応用できることです。
あそこの掃除をしなければいけないと思っているのに、
今日もできなかった。
なんて私は怠け者なんだろう。
身体に必要だと思っているのに、
今日も運動さぼっちゃった。
なんて私は意志が弱いんだろう。
こんなふうに、四六時中、自分にダメ出しをして、
ジャッジし続けています。
それもほとんど無意識化で行っています。
自分でも気がつかない間に、自分で自分を批判しているわけですから、
これでは自己肯定感を持つこともできません。
なんて怠け者なんだろう。
なんて意志が弱いんだろう。
この結論に行く前に、
どうして片付けができない自分がいるのだろうか、
どうして運動が続かない自分がいるのだろうか?
その置いてきぼりにされてしまっている存在の
真のところを聴いてあげられるといいと思います。
自分の声の真の響きを聴き出す耳。
自分を批判することを止めて、
真の声を聴き出すことができる耳。
自分の声をこのように聞く事ができる耳を持っていたら、
他者のこともジャッジをせずに聴く事ができるようになります。
歌唱療法士 平井久仁子