何かを表現することに携わっている人なら、自分のオリジナルって何だろう?と考え、それを表現するために様々な試みを行っているのではないでしょうか?
できれば過去だれも表現したことがないくらい、自分のオリジナルな作品が創作できたら素晴らしいですよね。
私も曲を表現する時に大事にしていることがあります。それは、できるだけ自分のオリジナルな表現をするということです。
クラシックの曲や各国に伝承されているフォークソングなど、古くから歌われて、親しまれている曲も自分のオリジナルが表現されるように取り組みたいと思っています。
今回は私が取り組んでいるオリジナルの作品を創造する取り組みをご紹介致します。
他の人の音源を聞かない
自分のオリジナルな作品を創るためには事前に、これから歌う曲の他人によって演奏された録音物を聞かないことにしています。
今の世の中は便利になって、CDやレコードの他にもインターネットで検索をすると手軽に自分が歌おうとしている音源に出会います。
でもこれを聞かないようにしています。
自分の前にある楽譜だけを頼りにして、いろいろと試行錯誤を繰り返しながら、一番しっくりくる表現を見つけていきます。
これがもし、この試行錯誤を始める前の段階で、誰かの歌った録音を聞いてしまったら、もう無意識のうちにその人の息遣いや、間合いや、抑揚や、響きまでをも真似をしてしまいます。
そういった技術系のことも、そしてその曲の解釈までも真似をしてしまうのです。
それは、自分のオリジナルな創造行為とはまるで違ったもの。
ただの真似で終わってしまいます。
人が歌っているのを聞いている時に、聞いている人の声帯は歌っている人の声帯の動きを真似しています。
声が出ないときなどは無理をしないで、声を休ませるために歌わないことが必要ですが、音楽さえも聞かない方が良いというのは、このような理由からなのです。
上記のことは余談になってしまいましたが、それくらい自分では無意識で行っていることがあるのです。
何回も演奏している曲を毎回初めての演奏するように歌う事
誰かが歌った音源を聞かずに、楽譜だけを頼りに創意工夫を繰り返して創られた作品も何回も演奏されるうちに、それが安定した表現になったり、リラックスした気持ちで表現されるようになります。でも、その反面では、新鮮さも失われていきます。
その新鮮な気持ちを無くして歌われた曲は、生き生きとした表現ではなくなります。
もうそれも過去に歌った自分の曲の表現をそのまま繰り返しているだけで、
すでにコピーに成り下がっているのかもしれません。
それは、きっと初めて聞くという観客の前で歌われたとしても、観客には伝わると思います。
さて、一度完成させた曲にもう一度新鮮味をプラスするのはどうしたらいいのでしょうか?
その場合私は、その曲をもう一度解体してみます。
例えば、テンポを様々に変えてみたり、強弱を違えてみたり、わざと反対の事をしてみたり、そうやってもう一度その曲に対して、あれやこれやと試行錯誤を試みます。
そして結果的には前の曲と同じ表現に落ち着いたとしても、もうすでに自分の内面は再構築されていますから、同じ曲をただ繰り返すような演奏にはなりません。
音楽の居場所
音楽は時間と空間に存在して、響き出た側から消えていってしまうもの。
そしてその代わりに、今度は人の心のなかに場所を変えて存在し続ける。
だとしたら、最高の状態で存在してほしいと歌い手は願います。
この歌を初めて観客の皆さんに披露しますと新鮮な気持ちで歌う事。
これはなかなかの大きなタスクではありますが、消えて無くなり、形に残らず、触れることもできない音楽という芸術だからこその特性ではないかと思うのです。
絵画や彫刻のような芸術は一度創作してしまえば、それがずっと残ります。そして人々はそれを観賞することができます。
しかし音楽の場合はそれをすることができない芸術です。
録音するこもできますが、CDなどでは高周波はカットされてしまって収まっていないので、コンサートホールで聴いたままの音源ではありません。
まして観客が変われば必然的に同じ演目が演奏されたとしても現れ出た音楽は違ったものになります。
音楽の演奏は観客との相互作用なのです。
だから音楽は一瞬一瞬の芸術で、観客との一期一会の芸術でもあるのです。
そのことを大切にして演奏者は表現したいものです。
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