今日のテーマは、
「歌う事と語ることは全く別の事」というテーマでお届けします。
シュタイナーの芸術には、
絵画、造形、音楽、歌など様々な芸術がありますが、
言語造形という言葉の芸術があります。
その言語造形と並行して、
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスも学べますか?
という問い合わせを頂くことがあります。
その場合、私は決まって、どちらかを選んで頂いています。
そして、選んだ方をきちんと習得すれば、
もう片方も学ぶことができます。と答えています。
二つの事をいっぺんに習得するには、
あまりにも無理があるからなのです。
歌と言語造形の語りは、意識の方向も、
響きの流れる方向も違うのです。
それを同時に行うのでは、本人が戸惑うだけです。
目には見えない響きの身体のようなものを作っていくのですが、
そのアプローチの方法が真逆です。
それを伝えてあげられる指導者がいれば、
ああ、そうか!と自分の戸惑いを理解できると思いますが、
そういう人がいない場合は、何かおかしいと思いながら、
自分の身体はちりぢりになってしまいます。
歌うならば、歌う身体を作る事。
語るならば、語る身体をきちんと作ってから、
他の事をやると、身体はちりぢりにならなくてすみます。
シュタイナーも同じ日に、
「歌と語りの練習は行わないように」と言っていました。
同じ口から語りも歌も出てくるのに、違うなんて、
不思議ですよね。
古代の人は、
「歌うように語り、語るように歌っていた」と言います。
まだこの頃は、歌う事と語る事が一緒だったのです。
それがいつしか、言葉だけがどんどん重たくなって、
地上的なもの、物質的なものになりました。
歌はまだかろうじて、精神界に留まっていますが、
歌には歌詞が付いていますから、
言葉に引っ張られて、物質化しつつあります。
これには、人間の進化が影響しています。
古代の人達は、肉体は別々に分かれていましたが、
まだそんなに個人としての意識が明確化されておらず、
全体としての意識が強かったのです。
これは、子供の成長過程と似ています。
3歳以前の子供は、自分と世界は結ばれていて、
世界は自分、自分は世界という意識状態ですが、
3歳を過ぎてから、自分の事を「わたし」と言い始めます。
ここで初めて自我という意識が芽生え始めます。
世界は世界、自分は自分、というふうに分離されます。
人類の進化も、全体がひとつという自我意識から、
各々の人間がひとつの自我をはっきりと持つという
意識へと変化していきました。
そうすると、お互いの意思伝達の為に言葉が必要になるのです。
「歌うように語っていた」のでは、情報は伝わりません。
ですから、言語はとても自我と関係が深いのです。
子供も立ち上がって、歩き始めなければ、
言葉を話すようにはなりません。
大地に直立して、歩くという行為は、
人間だけが行っていて、
それは自我というものがなければ、
それを行うことができないのです。
話が脇へそれていきましたが、
語る事と歌う事がまったく違う事は理解して頂けたと思います。
シュタイナーの言語造形ではなくて、
絵本の読み聞かせ、詩や物語の朗読など
自分の語りを深めたいという希望で、
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスを学びたいという方とは、
レッスンを行っています。
母音と子音の各々の音の性質もお伝えしています。
それを学んで頂けると、
詩や物語の意味を伝える語りから、
音の響きも一緒に伝えることができる語りになります。
お話しする時の声の響きが変わってきて、
以前と話を聞いてくれる人の反応が変わってきているんですよねー。と、
レッスンをしている方がおっしゃいます。
そうです、そうです。
それは、目には見えないけれども、
響きの身体を意識で動かして語っているのですから。
レッスンでは、歌と語りの違いについてや、
意識をするポイント、響きと言語音の響きの違い、
そしてその発声の仕方についてお伝えしています。
『歌を通して心と体を整える声の専門家』
シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子
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