
ゴールデンウイーク、
いかがお過ごしでいらっしゃいましたか。
私は衣替えをしたり、庭の草むしりをしたり、
その合間に、ネットフリックスで
「愛の光」という韓国ドラマを観ていました。
高校生から30代になるまでの男女の物語を中心に、
彼らを取り巻く家族や友人たちとの、
さまざまな愛のかたちが描かれています。
題名にもある光は、
全方向に放たれる眩しいものというより、
暗闇の中へすっと差し込んでいくような、
静かな光に感じられました。
主人公のおばあちゃんが昏睡状態でいるとき、
お見舞いに来る人々は、積極的におばあちゃんに話しかけます。
その中の一人が、おばあちゃんの好きな歌を歌う場面がありました。
その場面を見ているときに、
ふと、父のことを思い出しました。
父が亡くなる前、意識が朦朧としていた頃。
話しかけても反応はなかったのですが、
歌ってあげると、目を開けたり、手を握り返したりしてくれました。
言葉を交わすことはできなくても、
確かに何かが通じている感覚があって、
それが嬉しくて、
病室では父の好きだった曲をよく歌っていました。
言葉とは別のところで、
歌は人に届いていくのだと聞いたことがあります。
あのときの父の反応を思い返すと、
父と交わしていたのは言葉ではなかったけれど、
確かに通じ合っていた感覚がありました。
声は、意味を伝えるためだけのものではなくて、
もっと奥のところに触れていくものなのかもしれません。
ドラマの中で差し込んでいた光のように、
声もまた、静かに、でも確かに、
誰かの内側に届いていくものなのだと感じました。
アトリエ・カンテレ 平井久仁子
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