シンギングセラピスト(歌唱療法士)平井久仁子です。
個人レッスンをしている時、
私はひとつ、
ひとつのエクササイズが終わる度に
「どうでしたか?」
または、
「どんな感じがしましたか?」
と聞くことにしています。
私がその方の声を聞いて感じたものと、
実際に歌っていた本人の感じたことが
合っていたのか、
又は違っているのかを
確かめる為に尋ねている
ということもありますが、
もうひとつには、
歌っている最中に
自分の歌声によく耳を傾けて
聞いて欲しいという意図があります。
私に問われることがわかっていれば、
自然と聞くことに注意が及びます。
つい最近、
レッスン中にとても印象深い
やりとりがありました。
今回は「声にかけられた覆い」のお話です。
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス歌唱法を
生み出したヴェルベックは、
人間の声は生まれた時から、
完璧なもので、美しいと考えていました。
美しい声は、
特別な才能を持った、
選ばれた人のみに与えられたものではないのです。
だから、レッスンでは、
目の前で歌っている人は、
完全な人です。
何かが欠けているから、
今現れている声が美しく響かない。
だからその欠点を補うために練習する。
一般的な歌のレッスンでは、
残念ながらそうではありませんか?
常に自分は不完全な存在で、
歌えるようになるためには、
自分に無いものを外から補わなければならない。
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス歌唱法の
レッスンは違います。
外に原因を求めても、
自分らしい歌声からは遠のくばかりです。
何故なら、
自分ではないものを
必死になって身に付けようとしているのですから。
それでは自分ではない着ぐるみを被って、
歌っているようなもの。
本来のあなたは、
その着ぐるみの下に隠されてしまっています。
アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスのレッスンでは、
今現れている声が美しく響かない場合、
響きを妨げている原因が何であるかに気づくこと。
そして、
それを外す練習をすれば、
既に持っている美しい声が現れでる。
そのような観点からレッスンを行っています。
声に掛けられた覆いも、
人それぞれ。
みんな同じではありません。
去年の秋口からレッスンしている方で、
声を出し始めると、
痰が喉に絡み始めて、
時どき咳ばらいをしたり、
水を飲みながらレッスンをされています。
普段の生活では痰は絡まないのに、
私とのレッスンで歌うと
痰が湧き出るように絡まりだします。
先日のレッスンでも
同じよう現象が起こりました。
でも違ったのは、
その方が、
「痰の向こうに自分の本当の声が
微かに聞こえる感じがする。
音楽大学に入って、
様々な技術を身に着けて
壊してしまった声ではなくて、
子どもの時に、
小鳥みたいに自由に歌っていた
私の声を聞いた気がする。
だから今日は痰がでることが
うれしいと思えるようになった。」
とおっしゃたことです。
喉の内部や口腔内があまりにも固く、
緊張していると、
痰が出たり、
よだれがあふれ出てくることがあります。
歌っている時、
声の響きが、
固く緊張した器官を
振動で緩めてくれるのです。
緩むことによって、
唾液が出たり、
痰が絡んだりします。
普段、頭ばかり使って
仕事をしている人は、
歌いだすと、
しゃっくりやげっぷが
止まらなくなることもあります。
でも、痰もよだれも、
げっぷもしゃっくりも
固さと緊張が取れてくれば、
出なくなりますので、
ご安心ください。
痰が絡むことは
一時的なことであるので大丈夫なこと、
気にしないでくださいと
レッスンの度に、
その方にも説明していたのですが、
どこかに、
痰が絡むことを悪い事だと
思っていらっしゃいました。
痰を絡ませながら歌うなんて、
一般のレッスンではありえない事ですから
無理もありません。
でも先日のレッスンでは、
痰が絡むことも
プロセスの一部なのだということが
府に落ちたのです。
だからご自分の耳が
何事が起きても閉じない、
開かれた耳になって、
ある意味不快な現象の先に、
ご自分の本来の声の予兆を
聞くことができたのだと思います。
声に掛けられた覆いって、
本当にいろいろあるのです。
唯の比喩として
使っているのではないのです。
「痰の向こうに、
私の本来の声を微かに聞いたような気がする。」
こうやって、
自分の声に掛けられた覆いを見つけて、
それを取り除いて行く作業は、
ものすごく地味なことですが、
止められません。
まるでまだ誰も足を踏み入れたことがない
未開のジャングルに分け入り、
新種の蝶を発見するような
驚きに満ちています。
さなぎから孵った蝶は、
どんな輝きを放つのでしょうか?
そんな楽しみを持って
自分の本来の声を見つけてみてください。
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