紫陽花が咲き始めましたね。明日からしばらく雨の予報が出ている東京です。そろそろ梅雨に入るのかもしれません。
先週の金曜日、晴天の下、友人と北鎌倉へ行ってきました。お昼ご飯の前に、散策しようということになって、私たちは銭洗い弁天を目指しました。縁切寺の脇を進んでいくと、いつの間にかハイキングコースになっていて、木立の中を進んでいきました。
友人の携帯のナビに任せていたので、まさかこんな道を通って行くとは思っても見なかったので、私は内心、驚いていたのです。
でも、小鳥のさえずりや、樹木の香り、時折吹き抜ける風の気持ちよさを十分に味わうことができました。
そして、駅の周りの喧騒からは全く異なる世界になっていて、異次元のスペースを楽しみました。
自分が予測していなかった事態が起こる時、心配になったりすると思います。
声にもまったく同じことが起こります。自分の安心なスペースで響いていた声がそこから未知のスペースに響き出ようとする時が来ます。それをヴェルベックは「拡張の響き」と呼んでいるのですが、自分のパーソナルな領域から、世界へ向かって声が拡がっていきます。
そのような時、これが私と思い込んでいた枠を外していかなければならなくなります。その体験は、正に私を失くしてしまうような体験なんです。ですから、自分を開くこと、委ねることに恐怖や恐れを感じます。そして、安心な所へ戻ろうとするんですね。
「拡張の響き」の練習が始まった頃の私は、まさにこれとの戦いをしていました。
自分の声が外に拡がっていくという瞬間に、私は怖くなって、すっと後ろに下がって、声が外に響いて行かないように扉を閉めていました。「今日もこれからという所で、扉を閉めて引っ込んだ」と先生からは言われていました。
そう先生に言われても私はまったく意識できませんでした。
それを無意識化で行っていたからなんです。ですから、その期間は、私が私自身を殺す夢をよく見ていました。夢が私の顕在意識にメッセージを送ってくれていたのだと思います。
「もう古い人格は必要ないよ」と。
そして、実生活では、私が自分自身を大切に扱う態度を試される事件が起きました。理不尽だと思われる扱いに屈することなく、私の当然の権利を世の中に表明すること。
これができた時に、私の声の覆いは開かれて、私の安心なスペースから外へ外へと拡がっていきました。
さて、どんな響きの声が私の中から現れ出てきたのでしょう?それは、次の機会にお話します。
アントロポゾフィー歌唱療法士 平井久仁子