
声のレッスンをしていると、
不思議な場面に立ち会うことがあります。
それまでなかなか響きが通らなかった場所が、
ある瞬間、ふっと響き始めることがあります。
固く閉じていた何かがほどけるように。
長い間枯れていた小川に、
再び水が流れ始めるように。
そんな瞬間があります。
私は長年、
声と響きを見つめてきましたが、
響きは身体のことをよく知っているように感じています。
私たちの身体には、
長い時間をかけて身についた癖があります。
緊張したときの呼吸。
我慢するときの力の入り方。
誰にも気づかれないように、
身につけた身体の使い方。
それらは決して悪いものではありません。
それぞれに理由があり、
その人が生きてくる中で必要だったものです。
けれど、
その積み重ねが響きの流れを
狭くしていることがあります。
そんなとき、
響きは責めません。
ただ静かに、
「ここに何かありますよ」
と教えてくれるのです。
母音や子音たちには、それぞれの個性があります。
ある音は風のように通り抜け、
ある音は水のように滞りをほどき、
ある音は大地のように人を支えてくれます。
音たちがそれぞれ違う役割を持っているのです。
そして不思議なことに、
その人が今必要としている音は、
どこかでちゃんと身体が知っているようにも感じます。
レッスンの中で私は、
「この音を使いましょう」
と提案することがあります。
すると、
それまで動かなかった場所が動き始めたり、
響かなかった場所に、
響きが集まり始めたりすることがあります。
それは何かを無理に変えているのではありません。
忘れていた道を思い出しているようなものです。
私は、身体のどこか深いところに、
誰もが本来の響きを知っている場所が
あるのではないかと思っています。
だから声の学びとは、
新しいものを身につけることではなく、
もともと持っていたものを思い出していくことなのかもしれません。
響きは、
私たちが忘れてしまった身体の物語を知っています。
そして今日も静かに、
その続きを聴かせてくれるのを待っているのです。
アトリエ・カンテレ 平井久仁子
