
前回の記事で、
私は響きの世界についてお話ししました。
今日は、その続きです。
私は長年声と向き合ってきて、
音と響きは同じものではないと感じています。
ここで言う音とは、言葉の音です。
母音や子音のことです。
私たちは舌を動かし、唇を動かし、
口の中の空間を変えながら音を作っています。
「A」
も、
「I」
も、
「O」
も、
それぞれ違う形を持っています。
響きは、その形を通って姿を現します。
だから響きは音なしには存在を現せません。
このことが、
音と響きが同じものだと思われる理由なのかもしれません。
でも私には、
この二つはやはり別の世界の住人に感じられるのです。
色と光の関係に少し似ています。
色を見るためには光が必要です。
光がなければ、どんな色も見えません。
闇の中ではすべて暗く、
色を見ることはできません。
だからといって、
光と色が同じものだとは言いません。
響きもまた、
音によって姿を現します。
けれど、
音そのものが響きではありません。
私には、
母音や子音は器のようなものに感じられます。
そして響きは、
その器に注がれる水のようなものです。
どんなに美しい水が注がれても、
器が歪んでいたらどうでしょう。
ひび割れていたらどうでしょう。
水は漏れてしまいます。
本来の姿を保てません。
声も同じです。
舌や唇、口蓋が作る音の形が適切に作られていなければ、
響きは十分に満ちません。
漏れてしまったり、
途中で失われてしまったりします。
私はレッスンで、
「もっと響きを増やしましょう」
とはあまり考えていません。
むしろ、
「響きがそのまま現れる器を整えましょう」
と考えています。
響きを作るのではなく、
響きが現れやすい環境を整える。
花を咲かせるのではなく、
花が咲きたくなる土を育てるように。
そんな感覚です。
だから声の学びは、
音を作る練習でありながら、
同時に響きを迎え入れる準備でもあるのです。
アトリエ・カンテレ 平井久仁子
